2ペンスの希望

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引き分け以上。

前に一度話題に挙げた井筒和幸の『ガキ以上、愚連隊未満。』を読んだ。【2010年5月ダイヤモンド社 刊】分かったようなウンチクを並べただけのゴタク本ではない。実体験をなぞりながら書かれた“遅れてきた青年”の映画記だ。関西出身、拙管理人と近しい世代という所以もあって、それなりに面白く読んだ。1979年に作った「児童劇の教育映画(『僕と隠岐島号』)」にも、1993年『東方見聞録』の「エキストラ俳優滝壺水死事故」についてもキチンと触れられている。(もっともここ十年の出来事はあまりに生々しいのか書かれていない。)
どんな世界でもそうなのだろうが、日本の映画百余年の歴史のうちには、何人もの人が亡くなっている。横死や自死もある。途中で降りる人や身を隠すように消えていく人もいる。そのことを何がしかの形で繰り込まない一切の“言葉”は信用できない。その意味で、「頼まれてもいないのに」映画に向き合い、「どれほど吹き上がる風を受けようと、モンゴルのイヌワシの様に、高い岩山の絶壁に枝切れを運び、巣を作り、卵を温め、肉を咥えてかえるんだ」と語るイヅツの“言葉”には共感を覚える。
彼より三廻りほど若い映画人から最近聞いた「勝つのが難しいことは承知している。(もっとも、何が勝ちなのか正直良くわかっていないのだけれど‥)さりとて、負けたくはない。悪くても、引き分け以上には持ち込みたい。」と言う“言葉”と共に、心に残った。
日本映画新世紀へのバトン・リレー、その予感‥といえば云いすぎだが。