2ペンスの希望

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森を見る?!

林雄二郎は、高名な未来学者だそうだ。今から五十年以上も前1969年に情報化社会を予見した『情報化社会』(講談社現代新書)を書いたという。(情報化社会という言葉は、林さんが最初に使い始めたということらしい。)不幸にしてその方面に疎く不勉強な拙管理人は知らなかった。昨秋95歳で大往生された。晩年林さんを中心に「森を見る会」という勉強会を立ち上げた時の世話人橘川幸夫さん(デジタルメディア研究所 通称デメ研所長)が述べた追悼の辞の一部をココに転載する。
森を見る会というのは、林さんが90歳に近付いた頃、若い連中に林さんの凄さを見せてやろうと、日 本財団の部屋をお借りして、勉強会をやったことからはじまりました。会の名前は、林さんがその頃、口癖のように言っていた「木を見て森を見ずという言葉が あるが、最近の学者は、木どころか枝とか根っことか、細かいところだけ研究して大きな視点でものを見る人間がいなくなった」というところから、では「森を 見る会にしましょう」ということです。
橘川幸夫デジタルメディア研究所 ブログ1912年1月26日記事「林雄二郎先生を偲ぶ会」より無断転載】
確かに、林さんや橘川さんが言うとおりだ。映画の世界でも、森を見ず枝や葉っぱをこねくり回す輩は、やたらに多い。

さて、、もひとつこんな話もある。
こちらは、拙管理人の古くからの友人の話。子供たちを教える現場仕事を四十年近く続けてきた。数日前にこんな話を聞いた。
最近の若者は、常識が取っ払われてしまったお陰(!)で、自分の頭で一から深くモノを考えるようになって来た。以前は常識が通用していて、その上に乗っかっていれば何とかなった、人に会ったらまず挨拶するものと教えられてきたから、あまり深く考えずとも云われるままに挨拶しておけば大過なく過ごせた。その常識が通用しなくなった。すると、二極化が進んだ。挨拶なんて無関係、我関せずの若者と、挨拶は何のためにするのだろう、常識って何だろう、とラジカルに自分の頭で考えはじめる若者、その両方が増えてきたというのだ。常識が崩れて、自分で考える(考えざるを得ない)若い世代が台頭してきている。強いられているにせよ、また、少数であるにせよ、今の若者が、昔以上にしっかり自分でものを考えている姿を見るととても頼もしい。羨ましくもある」と友人はいうのだ。成る程と首肯した。

最近の若者は‥と言い出したら老化の始まりだ とはよく言われる。確かにそのとおりだろう。しかし、昔は良かった凄かったと思い返すとともに、昔は駄目だったこんなことすら出来なかったと気づくこともまたあるものだ。そのことを伝えていくことも先達の役割なのだろう。すべては功罪半ばするということか。