2ペンスの希望

映画言論活動中です

NDU 足・「少数」派・目と目で

数日前に、神戸映画資料館でNDU(日本ドキュメンタリストユニオン)の一員・井上修さんのすこぶる刺激的なトークショーを聞いた。
「ドキュメンタリーとは何か?フットワークそれだけだ。
カメラより先に足が動く、それ以外にドキュメンタリーの必要条件なんぞない。現場がすべて。成り行き任せ。自分で目指したものなんかない」
「(余り大きな声ではいえないが)東日本大震災に出かけていくドキュメンタリストは私は違うと思ってる。地震は大きな出来事。誰もが関心を寄せる。ほっといてもマスメディアが取材する。多数派。そんなものを題材やテーマにしては駄目だと思う。地震に集中することで、もっと他のマイナーな出来事が捨てられ忘れられる懸念がある。
ドキュメンタリーの仕事は、見向きもされない小さなこと、忘れられがちなことに目を向けることにある」
「大事なことは、言葉が通じなくても目と目で会話が出来ること、
目と目で思いを伝え合う力を身につけることだ」
真正ドキュメンタリストの面目躍如の1時間30分だった。
最後の質問タイム、幾つかのやりとりがあって、井上さんは言った。「折角東京くんだりからやってきたんだから、私を困らせるような質問をしてくれないか」
若者が発言。「次回作は?」
すかさず井上さんが答えた。「次回作は、アナタ自身が作ればいい。誰か何かやってよぅ」鮮やかだった。
今回の上映を記念して作られたパンフレットの表紙にNDUの映画づくりのモットーとして、こんな言葉が記されている。
「次回作を急げ!」
これは、次回作をつくるのがNDUなのではなく、共同制作を貫いてきたNDUが、若い世代に向けて投げかけた檄文だろう。「ぼやぼやしないで、次なる映画を早くつくれよ
どんなことがあろうと、閉じないこと、出会いを大切にすること、人に託すこと
ここでもNDUの精神は貫徹されていた。見事だった。

戻ってネットを叩いてみたら、こんなページを見つけた。
東京の上映イベントで若い世代の観客を前に話した井上さんの発言の採録だ。
面白かったので、一部再録する。
【『山谷』制作上映委員会 2009年12月12日 Plan-B minitalks
全体は→http://homepage3.nifty.com/joeii/minitalk06.html 
興味をもたれた方は是非訪ねてみて欲しい】
ドキュメンタリーに監督・作家はいらない、勿論、編集だって不要だ ?!
「感動こそがドキュメンタリーの原点」
「生きていて、どこかで何かをしてね、誰かと会って話をしたりね、何かに出くわした時にね、感動する ことが皆さんありませんか。こんなに感激的な状況がこの間あったんだよ、と誰かに伝えたいと思った人ここにいます? そういう人はドキュメンタリーが作れ る。それ以外の人はドキュメンタリーを作っちゃいけない。映画を作っちゃいけないとさえ私は思っています。映画では、そういう感動的なシーンをみんなに見 てもらいたい。私こんな感動的な場面にあったんだよ、それで私だけが体験するのはまずいから、みんなに見せてあげると思うのがドキュメンタリーを作る動機 なんですよ。」

「我々NDUが最初に作った映画、題名『鬼っ子』っていうんですよ。わかります? 親に似ぬ子は鬼っ子だって言うんですよ。とに かく我々は前の世代を否定した、彼らよりもより良い社会を作っていこうという、そういう意欲でもって。それこそ我々の上の世代から向こう見ずと言われよう と、とにかくやりたいことはやるんだっていうふうにやってきました。」
制作技法、ありません。
自分で目指したものなんかありません。
誰でもドキュメンタリーが出来る時代なんですよ。
出来ちゃう。でも逆に言えば、そういうテーマの現場に居合わせるっていうのは至難です。自分だけでは出来ません。

「私の考えるドキュメンタリーの基本のひとつは、言ってみればそういうような方法を毎回毎回考えて撮影を実行していく、ということなんですよ ね。これって、どう考えてもキャメラマンの仕事ですよね、絶対に監督や作家なんかじゃない。」