2ペンスの希望

映画言論活動中です

余白

おんぶにだっこ、
ツアーガイドさんが旗を振って懇切丁寧に説明しながらすすむような映画が多すぎる。「いいですか、ここまでわかりましたかぁ、登場人物がこうしたのはこんな思いからなんですよ、遅れないでついてきてくださいね。じゃあ次に行きますよ。」
TVじゃああるまいに。飽きられてチャンネルを変えられるとでも思ってるのか、観客の想像力が信用ならないのか。これでもかこれでもかのサービス過剰。てんこ盛り。

観客のキャパシティが小さくなったと嘆く映画監督がいるが、違う。観客の咀嚼力を鍛え育てることを怠っているだけだ。小さなストライクゾーンにボールを投げ込もうとしすぎているように見える。暴投、危険球もたまに見かけるが、内実は、テレビではオンエアできない過剰な暴力描写だけが売り物の際物だったりする。あとは、一見深遠中身スカスカのひとりよがりの勘違い。創作料理という名の自己満足、ウエハースばかりじゃ物足りない。歯が欠けそうな堅焼き煎餅も食べてみたい。キャッチャーの手が痺れるほどの剛速球を受けとめてみたい。「皆まで言うな、ちったぁ待とう」そういいたくなる。
大切なのは全部を語らないで人に託すことではないか。閉じないで開いていく映画。あらかじめ着地点を決めない映画。予定調和に導かない映画。そんな映画と出会いたい。
そう、余白の広がり、余白の魅惑、余白の迫力、余白の怖さ。
余白、余地、余裕、余計、余禄、余徳、余得、余滴、余波、余熱、余情、余韻、は何処に消えてしまったのだろう。余映、余光、余香、余風というのもある。もっとも、余暇、余技、余興、余事、余罪という言葉もあるが。
余力を無くして余命が尽きる前に、「余白の復権」を!