2ペンスの希望

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3D

3D そう立体映画。
お恥ずかしい話だが見たことがない。あんなものは子供だまし、コケオドシ、正直そんな気持ちも何割かあって、足が遠のいてきた。昔もシネラマや70ミリという大型映画があった。全天周映画は今もある。見世物としてはそれなりに魅力的だが、映画の出来としてはイマイチ、そんな印象を持ってきた。(見世物を否定するものではない。見世物にも良い見世物と良くない見世物がある。そう考えている。為念)皆が騒いで話題にするものは避けたいという生来の天邪鬼もある。あげく食指が動かなかった。ということで、アバターも一連のアニメもスルーしてきた。良くないことだが、悪しからず。
3D、立体と書くと、どうしても「飛び出してくる」イメージがある。けれどそうか。むしろ奥に深い「奥行き」にこそ真価(進化?)があるのではないか、ぼんやりそう考えていた。縦の構図。それなら得意だ。映画は、奥行きのアクションで様々なことを語ってきた。人物と人物の関係や気持ち、その動揺と回復、奥行きを時間的に使った例もある。手前の芝居の奥に回想シーンが展開する。一つの画面が、何層もの層構造になっていてドラマが進んでいく、そのための3D。それなら良く分かる。
世界には同じようなことを考えている人がいるものだ。
松江哲明さんという若いドキュメンタリー映画の監督さんがこう発言しているのを読んだ。「3Dっていくつものレイヤー(層)を同時に見せるものだと思うんです。」【『ソーシャル・ドキュメンタリー 現代日本を記録する映像たち』萩野亮+編集部 フィルムアート社2012年7月刊】彼の新作は、『フラッシュバックメモリーズ 3D』。交通事故で記憶を失った音楽家GOMAさんのライブを記録した映画。東京の映画祭で上映されたらしいが、関西ではまだ観られない。というわけで拙管理人も未見だが、タイトルが「フラッシュバック」であり「メモリー」であり,そして「3D」とは‥と興味をそそられた。前に飛び出すのではなく、奥に深くひき込む。のけぞるのではなく、のりだす。奥行き・過去・記憶‥‥。そうだよなぁ、
日頃「進化して強くなったのは、技術と資本だけ」と書いてきた身としては3Dをこんな風に自分の頭で捉えなおす若い衆が登場してきただけでも嬉しい。頼もしい。
もっとも、食わず嫌いも良くないが、理屈がいくら立派でも、観てみないことには何ともいえないのが映画だ。頭でっかちで、胸に響かなければどうしようもない。暫くははらはらドキドキしながら待つことにしよう。それにしても3D上映。ミニシアターではどうするのだろう。関東では、シネコンで一週間限定レイトショーが決まっているようだが‥。