2ペンスの希望

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画はないのにドラマはあった

奇妙な体験をした。或る映画を観た。200万部を超えるベストセラー・ミステリーの映画化。時間は2時間29分。観たのはDVD。
まるでTVだった。(TV画面だったからではない。映画館で見ても恐らく同じことだっただろう。)画がないのだ。監督は、スタッフはこの画が撮りたかったのだろうなと推察させる画が一向に見当たらないのだ。似たような画角の緊張感のないカットがダラダラ続き、照明もやけに明るくフラット、編集もゆるい。従って映画を観た充実感はゼロだった。それでも、ドラマは楽しんだ。
画はないのにドラマはあった。人間がいた。その哀しさや闇の深さもそれなりに伝わってきた。当節TVみたいな映画は山ほどあるので別に驚かない。これほど、脚本、構成、演出が駄目でも、原作(とりわけ二人の主人公の設定・細かな仕掛けと巧みな接点のしつらえ)と役者(若い男女二人)の健闘で、それ相応のドラマが出来上がり伝わることに驚いたのだ。脚本は原作のつまみ食い、監督は現場監督か交通整理係、それでもドラマが成り立つのだ。
ただし、映画とは呼べない。二時間をどう構成しどう見せ切るのかの設計も力技もないからだ。原作があろうとなかろうと、問題は一本の映画として成立しているかどうかにある。その意味では落第点だった。
「いいじゃない。別に映画でなくったって、ドラマが面白かったら」その通りかもしれない。(何もかも駄目、救いよう無し、評点ゼロ‥そんな映画よりまだマシだろう。)
しかし、映画を見るときには、「映画」を見たいのだ。ドラマチックであろうとなかろうと見たいのは「ドラマ」じゃない。えっ、何が言いたいのか分からないって?う〜む。
「ドラマ」とは何か?「映画」とは何か?
一本の出来損ないに出会ったお陰でまたまた考えさせられてしまった。