2ペンスの希望

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わかりやすい難解さ

映画の若い友人から面白い言葉を聞いた。
わかりやすい難解さ」 昔は、さっぱりわからないのに、とにかく熱くて火傷しそうになっても目が離せず惹きつけられてやまない映画があった。それに比べると最近の映画には火傷するほど熱い映画がとんと見当たらなくなった、というのだ。ちんまりとお行儀のいい映画。そこで「わかりやすい難解さ」 
云いたいことは何となくわかる。成る程なと思った。
時代は大人になって大人しくなった。(幼児化して退行した、という人もいる。)大人にしろ、子供にしろ、最近は「空気を読んで」手加減し的を外さない「知恵」が付いた。キャッチャーの手が痺れてしまうような剛直球、なりふり構わぬ力一杯の大暴投は影を潜めた。確かにそんな気がする。
観客がついてこようがこられまいが、とにかく、この画が撮りたい、これだけはいいたいというエネルギーがほとばしっていた時代は終わったのか。この辺りまでなら観客はついてくるかなという様子伺い(よくいえばサービス精神だか)が増えた。その結果が、「わかりやすい難解さ」なのだろうか。
たしかに、時代は変わった。昔は規制やタブーがあって窮屈なものだった。それがどんどん許容されゆるくなった。今は一見なんでもありのタブーなき時代だ。性も暴力も描き放題。すっぽんぽん。隠すことも秘めることも無用になった。
これが、進化なのか退歩なのか、正直、よくわからん。(この項、続く)