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紙ヒコーキ通信

紙ヒコーキ通信というのは、1980年代の十年間、作家・評論家の長部日出雄さんが書き綴ってきた映画についての個人通信だ。最初は雑誌「オール讀物」に掲載されたが、途中から直接講読制に切り替え、読者を募って続けられた。今ならさしずめメルマガだ。
長部さんは「1980年代」という時代についてこう書き、「紙ヒコーキ」についてこう記している。映画への愛情あふるる文章なので全文引用する。【「紙ヒコーキ通信・宣言」『紙ヒコーキ通信2 映画監督になる法』文藝春秋1985.5.30.刊】
前略。年の初めにあたって、いろいろと考えた結果、単行本の第一集『映画は世界語』のあとがきに、「発表の場や形式は変わるかもしれないが、この『紙ヒコーキ通信』を十年は続けていこうとおもっている。それは映画の観客数が最低となった年からの十年間、つまり八〇年代の映画の運命をつたえるドキュメントになるはずだ」と記したときから、心の底にあったプランを、ことしは実行に移そうとおもう。
それは読者のなかで希望される方から、年間千円を購読料としていただいて、一年に六回、「紙ヒコーキ通信」を郵送する、というプランである。つまり、隔月間ということですね。一回の通信の分量は、これまでの二回分、四百字詰原稿用紙で二十四枚。
高いか安いかは、そちらのご判断次第。物好きに読んでやろうという気を起こされた方は、左記あてに現金封筒で、千円お送り下さい。

   (とあって、単行本には長部さんの自宅住所 郵便番号がそのまま載っているが、    ここでは割愛)
そちらの住所、氏名、郵便番号は、はっきりと楷書で書いて下さいね。  (中略)
五歳ごろから二十二歳まで、ぼくは映画館の観客であり、それから十三年間、試写室で映画を見る生活を送ったあと、ふたたび主として映画館で見る観客にもどった。
「紙ヒコーキ」は、映画館の大画面と薄暗闇を愛する観客の立場から、空に放たれます。
フィリピンのルソン島の山岳地帯へ向かうバスのなかで考えつき、『映画は世界語』のあとがきに記そうとして、いくらなんでも大仰すぎるかな‥‥と、おもいとどまった文句がある。四十何年か映画とかかわってきた半生をふり返って、心に浮かんだ言葉は、こういうのだった。――この通信を書くために、ぼくは生まれてきたのだ。
とうとう書いてしまった。やはりこれは恥ずかしい。でも、キザな台詞は映画の大切な要素のひとつだから、恥ずかしさを堪えて消さずにおこう。そのあとに、ぼくが編んだアンソロジーの題名で解説の末尾にも記した言葉を、つけ加えさせてもらいたい。
映画が好きな君は素敵だ。

いいなぁ。
よく出来た「紙ヒコーキ」は風に乗って遠くまでとび続ける。
ということで、その精神、いささかなりとも受け継いでいきたい。