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紙ヒ2 ビデオ革命

無類の映画好き長部日出雄さんの「紙ヒコーキ通信」その二は、ビデオ論。
1981年8月6日付の「東京新聞」に掲載されたもの。三十二年前=1981年がどんな時代だったのか、一部抜粋しながら引用してみる。

「ビデオに関して一九八一年は、次のような年として記憶されることになるだろう(『ビデオサロン』編集部山名一郎氏の示唆による)。まず普及率が一〇世帯に一世帯、つまり一〇%をこえる。これまでの例では一〇%をこえると、普及に加速度がつく。 (中略)
「ビデオによって、長いあいだ映像にたいして受身であった大衆に、ポジティブになれる可能性が生まれた」(映画監督・浦山桐郎氏)
  (中略)
かつてアストリュックが〈カメラ=万年筆〉説を唱えて、映画のヌーヴェル・ヴァーグ誕生の一因となったが、フィルムより簡単なビデオカメラの普及で、その主張は大衆のなかにまで広まりそうだ。
「カメラ=サインペンとぼくらはいっています」(早大ビデオ研究会幹事長・後藤博一氏)
フィルムとちがって、たやすく消せる点では、カメラ=鉛筆ともいえるかもしれない。
ビデオ作家の先駆者の一人かわなかのぶひろ氏の主宰するイメージ・フォーラムで、初心者のビデオ作品を見た。新鮮な驚きと大きな可能性を感ずる一方、たいへん簡単に写るので、撮り手が受け身であったり、さして努力しなくても、いちおう作品らしきものができるのだな、という感想も抱いた。
(太字は引用者による)「これまでの考えで芸術作品をつくるより、まず新しいコミュニケーションの道具として、自由に使ってみて可能性をさぐることが大切だとおもう」(かわなかのぶひろ氏)
記録映画の父フラハティは、カメラだけでなく現像機材と映写機まで極地に運び、撮ったフィルムをすぐに見せて映画というものを理解させ、対象のエスキモーとの間にコミュニケーションを成立させて、傑作『極北のナヌーク』(一九二二年)をつくった。
「あの方法はビデオそのものだ」と考える早大ビデオ研究会の後藤氏は、ビデオに関係のある仕事につくかどうかはわからないけれど「ビデオの思考体系は持ち続けていくつもりだ」という。
ビデオに関心をもつ若者は、今後ますますふえるだろう。山本喜久男早大教授の「メディアの青春と操作する人の青春が合ったとき、メディアは急速に伸びる
(太字は同様引用者)というのは、名言である。メディアと操作する者と受け手の青春が重なった〈青春三一致の法則〉で、劇画もSFもアニメも、かつての映画も伸びたのだ。映画はビデオとの出会いによって、第二の青春を経験するだろう。  (中略)
ペンをもつ人が、みんな小説や論文を書くわけではないが手紙はだれでも書く。子供の成長や近況を田舎の家族に伝える便りは、やがてビデオテープになるだろう。
だれもが監督であり俳優である関係で、撮影後じきに再生される映像の氾濫は、われわれに乏しかった自己表現と、自己客観化の機会を豊富にもたらす。団体交渉は双方のカメラで記録され、情報は広く公開されて、みんな簡単に逆上しなくなる。制作者が「ヤラセ」なくても「ヤル」ようになる徴候は、すでに現実のテレビ番組にも見える。
進行するビデオ革命を、われわれの思考と表現と伝達の全体系に、きわめて大きな変化をうながすものとして、ぼくはとらえる。

別に大したことが書かれているわけではない。まともなことが書かれているだけだ。
なのに今読み返してみるとどこか刺激的で示唆的だ。
〈青春三一致の法則〉かぁ‥‥考え直してみたい。