2ペンスの希望

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インタビュー

数日前から六車由美さんという方の『驚きの介護民俗学』【医学書院2012年3月5日刊】を読んでいる。著者は民俗学の研究者だが、今は郷里静岡で介護職員として働いておられる。「聞き取り」という民俗学の調査法と、「回想法」というケア手法の類縁に気付き、「テーマなき聞き取り」に没入していくのだが、これがすこぶる面白い。
六車版『忘れられた日本人』。
管理人も映像の仕事を長く続けてきたお蔭で、色んな人に会い話を聞いてきた。人物を追いかけたドキュメンタリーはもちろんのこと、PR映画などでもインタビューは欠かせない手法だ。フィルムの時代には、撮影時間に制約があり、フィルムコストも高かったのでここぞという所でしかカメラは回さなかった。インタビューも誘導尋問的だった。云わせたい、聴きたいキイワードが撮れればOK。如何に効率的にカッコいい決めゼリフが引き出せるか、それはディレクターやインタビュアーの腕次第だった。畢竟インタビューは、質問と答えに終始した。
それがビデオ時代になって劇的に変わった。ビデオテープはフィルムに比べれば格段に安価だ。30分でも1時間でも時間と相手が許せば幾らでもカメラが回せた。ロングインタビューが可能になった。あらかじめ想定したり期待したコメントを採取する「質問」インタビューではなく、ただただ話を聞き続ける「会話」インタビューが出来るようになった。テーマなき聞き取りとその豊饒。フィルムの時代ならカットされた(であろう)言い澱みや言い間違い、ためらいや無言の表情が残され、確実に何かを伝えることも分かってきた。かつてはインタビュー中の顔の画は退屈だからとカットされ、別の画を挿入してきたが、今ではむしろ延々と顔が映し出され続ける。芸がないという向きもあろうが、人間の顔というのがいかに雄弁に何かを語るかが知られるようになってきた。時代の産物のひとつだろう。インタビュー画面もまたひとつのドキュメンタリーなのだ
もっともだらだらとした撮りっぱなしでOKということではない。ビデオの時代になって可能になったこと、弛緩しだらしなくなったこと、両方ある。緊張感に満ち見る人を惹きつける場面は、高度な計算・編集技術の裏付けがなければ作り出せない。面白くはならない。
これだけは変わらない。はっきりしている。