2ペンスの希望

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スター消失タレント跋扈

昨日の続き。
スクリーンとモニターとディスプレイ・タブレットによって、映画との距離感・向き合い方が変わると書いた。そして、ふとこんなことを思った。
この関係は、銀幕のスターが消え去り、すぐ近くにいるクラスの人気者めいたタレントたちばっかりが幅を利かしている風潮とパラレルなのではないか。
遠く仰ぎ見る存在だったものが、どんどんすぐそばまでやってきて、親しげにキャッチボールしたりお付き合い(擬似だが)出来るようになった、そんな印象。
憧れ・永遠の神秘的スターは居なくなり、フレンドリー、どこにでもいそうなタレントばっかしになってしまった。神も王も去った。いるのは、小さな枠にはまるフツーの人間サイズの偶像(アイドル)たち。ドングリの背比べ、どっこいどっこい、団子レース、蝸角之争(かかくのあらそい)
随分、こじんまりと行儀よくなったことだ。
民主主義の進化とは畢竟(所詮)こんなものなのかもしれない。
いや皮肉ではない。どんなに途方もないもの箆棒なものでも、こじんまり手のひらサイズにおさまってしまう時代に生きているのだ。
先行する映画は、既に膨大だ。十分な蓄積がある。
あらゆる映画は最早全て作られ尽くした。歴史に学ぶ誠実な「作り手たち」ほど、そんな既視感・無力感に襲われながら、次なる一歩、更なる新しい峰を目指すしかないのかもしれない。万人が認めるようなミリオンヒットは望むべくもない。それぞれの畑・業界でそれなりの人気作・評価作が勝手に生まれては消費され消えていく。その果てしなき繰返し。キツイ時代に入ってきたものだ。作りやすくなったが、作りにくくなった。
作るかいが見出しにくい受難紀。それでも新しい映画がきっと登場する。
そう信じるし、そう願いたい。