2ペンスの希望

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屈折の時代

若い友人(といっても結構のオッサンだが)がやっているロックバンドの音楽を聴いた。普段ロックなんか聞かないのに結構聞けた。
年季の入ったヘビメタバンドながら超有名某フォーク歌手(団塊世代ど真ん中)のテイストバリバリの音楽だったからか。
面白かったのは、彼(ギター担当)自身の「くだんのフォーク歌手」との距離感。ちなみにその歌手の名前はY田T郎。ファンは親しみを込めてファーストネームで呼ぶが、彼は意識的にファミリーネーム(=苗字)で呼ぶそうだ。彼からのメールにはこうあった。
もちろん、私はY田にはほとんど関心はありませんが、Y田に影響を受けすぎた曲を
非Y田化するのは楽しいです。 (あまり上手くできてませんが)
それを許す変なバンドなのです。

成る程、そんなスタイルもあるのかと感心した。そして思った。
管理人の時代には、剛直球という主流があって、変化球はあくまで傍流・支流・亜流だった。それが、世の中で「大きな物語」が失われて、主流も消えた。マスは消滅してミニばかりになってしまった。そのせいか、ストレートなスタイルは後退し、ワンクッションツークッション入った「屈折の時代」に突入したというところか。
屈折を賞玩する
時代・文化の成熟には違いなかろうが、ここでも「難しい時代」になったなぁと思った。画面の隅々にまで埋め込まれた無数のイコンの読み解き合戦のような映画がもてはやされる時代、成熟はまた衰弱でもあろうゾ
今日はロートルの小さな呟き。