2ペンスの希望

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閉じないこと

自称作家・自称監督が多すぎる。
いいじゃないか当人が満足して、周りが盛り上がっているだけでも‥。
確かにその通りかもしれない。作らないのでは始まらないが、作ればいいというものでもなかろう。出来上がった「作品」はご当人と取り巻きには、努力の結晶・珠玉の名品に映ることもあるだろう。しかし、世の中ではゴミ同然、塵芥のように無視される。
よくある話だ。世間の連中の眼は節穴だ。わかっちゃいない。芸術家はなべて不遇なもの。そうつぶやいたり、叫んだりする姿が目に浮かぶ。そうかもしれない。
半分正解半分不遜。
井の中の蛙大海を知らず、というのもある。置いてけぼり。それでもいいのさ、と作家や監督は言うのだろうか。情けない。もったいない。そう思わないのだろうか。「名品」なのか「ゴミ」なのか、今この時、我と我が身を晒してハッキリさせてみたくないのだろうか。管理人には「閉じないこと」が何より大切だという思いが深い。
腐敗は閉じたところから始まる。もっとも腐敗は、発酵でもあるからして、ややこしいのだが‥。(半分正解半分不遜と書く根拠はこの辺り)
窓を開けて風を入れることを忘れたくない。

高橋源一郎さんがこんな風に書いていたことを思い出した。【1999年4月刊『退屈な読書』朝日新聞社
ぼくたちはこの世界に生きている限り、この世界を超えて答えを出すことはできない。そして、もしそこに真の答えがあるとするなら、それはたぶんこの世界の向こうにしかないのだ。それを知りつつ、なおぼくたちは答えを求めて止まないのである。