2ペンスの希望

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俺たちは赤ん坊じゃない

イマドキの作り手なら誰だって「お涙頂戴」では駄目なことぐらい知っている。
それでも水分過剰、べたべた、ずるずるの作りモノが後を絶たない。
言い訳の一つは見えている。
「観客が望むから」「観客がそれしか許してくれないから」観客の胃袋が縮んでいることはその通りだろう。少し歯応えが悪いと食べてくれない、硬いと吐き出してしまう。
しかし、それを工夫して食べさせるのが大人の仕事ってモンだろう。
何でもかんでも家族愛や絆、ラブストーリーに収束させて事足れり、まっこんなとこだろ、と高を括るのは、よした方がいい。
もう一つの言い訳。
「古典・名作だって出来た時は新作だったんだ、だからつまらない新作にも古典として残るものがないとも限らない、だからみんな辛抱して見てね」というやつ。確かに、近松だってシェイクスピアだって、人間生まれた時はみな赤ん坊だ。けど、だからどうした。
当たり前のことをいってるだけで何も言ってないに等しい。
こういうのを日本語では、野郎自大、という。さもしい、ともいう。
俺たちは赤ん坊じゃないし、観客は天使じゃない。
言い訳するヒマがあるなら、腹を据え、腰をためて、腕を磨くことだ。