2ペンスの希望

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てなぐさみ

これまでにも何度か触れてきたが、あらゆる表現の根底には、自己慰安がある。
自費出版映画、自主制作映画の基層にもこの自己慰安が横たわる。
てなぐさみ=手慰み、てすさみ=手遊み・てすさび=手遊び・てすさみ・てずさみ‥。 いずれも、暇つぶし、気晴らし、楽しみ、心を楽しませること、また、そのもの、といった意味の言葉だ。ここで閉じてしまうのなら何も言うことはない。傍からとやかく言う筋合いはない。しかしそれでは話にも何もならない。
自己慰安のその先で、何処に向かうのか、誰に何を届けるのか。それが問われなければ、表現は痩せて老いさらばえていくばかりだろう。手塩にかけて育ててきた成果物を、世界に向けてリリースすること。それがスタートライン。
作り手だけの自己慰安に終始(収支)するのなら、それは自己満足に過ぎない。市場に晒すこと。流通を設計すること。それが最低条件であることは昨日も書いた。