2ペンスの希望

映画言論活動中です

「律」

四つ目は、「律」。
旋律であり、韻律。
映画にいちばん近い表現は音楽だ。そう思っている。
演劇でも文学でもない。リニアで前に進み、身を委ねるしかない。線的不可逆性と受動的拘束性(こなれの悪い表現で恐縮だが、何が言いたいのかは、おぼろげにでも伝わるだろうか)
演劇だってそうだろうに、という反論がすぐに返ってきそうだが、演劇はライブ・生もの、映画は複製芸術・パッケージされた缶詰or練り物、似て非なるもの。そもそもの成り立ち・基底が、全然違う。
映画のパッケージが、受け手の所有になり、任意の箇所が何度も何度も繰返し再生されたり、巻き戻し・早送りされて勝手自在に視聴されるようになったのは、映画百余年の歴史の中での後半、ここ三十年の事だ。それまでは、いそいそと映画館に出かけ、座席に身を沈め、暗くなったスクリーンをただただ眺めるだけだった。線的不可逆性と
受動的拘束性(何が言いたいのかが、多少ははっきりしてきただろうか)
映画は音楽なのだ。かつて、そしていまもリズムやテンポは紛れもなく最重要な生命線だ。‥。リズムやテンポだけではない。メロディ、ハーモニー、音調、音長、音色、音量、抑揚、強勢、‥‥。
吸う息吐く息」というのも、重要だ。これについては、古いブログに書いたので繰り返さない。御用の向きは⇒http://d.hatena.ne.jp/kobe-yama/20120426 を参照願いたい。
「律」それは、映画のいちばん基層に横たわっている「心音=鼓動」だ。力の源泉であり、万人が持ちながら微妙に異なる。故に、ある人にとっての心地よい楽音が、別の人にはノイズにしか聞こえないなんてこともママある。