2ペンスの希望

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『複製芸術論』

ちょっとした必要があって、多田道太郎さんの『複製芸術論』を読み直した。初出は1958年3月京都大学人文科学研究所発行の「人文学報」第8号。
複製芸術とはオリジナルのない芸術、ぜんぶが複製である芸術を指す」という言葉ではじまり、写真と映画を採り上げ「複製芸術」 というあたらしいジャンルの芸術が出現したと語る。「オリジナルがないという性格のゆえに、万人が平等の資格で参加しうる」とし、「コミュニケーション技術の発展と密接にむすびついているゆえに、自由な表現可能性があたえられる」と結論付ける。
学生時代に読んだ記憶がうっすらある。40年ぶりの再読。
当時は全然目にも留めなかった箇所が俄然光って見えた。
より複雑、より広大な現実を、より正確に、より自由にとらえること、それがカメラの本来的な機能である。」(註:強調は引用者)
心の図式(スキーム)を打ち破るのはつねに現実である。スキームでは間に合わない現実が現れて、それではじめて意識を現実に「適応」させる。旧い「現実」は新しい「現実」にとってかわられる (したがって現実主義の現実とはけっして一義的なものではない)。
ヴァルター・ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』が先行していたとはいえ(ベンヤミンの原著は1936年)』見事な先見性だ。
目もいいが、鼻も利く。何より、胃袋が大きく咀嚼力抜群だったことに、改めて脱帽。