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「日本映画を見る会」

昨日書いた多田道太郎さんたち京大人文科学研究所のメンバーが中心になって、
昭和30年代、京都で「日本映画を見る会」という会が開かれていた。
お仲間だった加藤秀俊さんの文章を引用する。
この会は、要するに毎月一回、課題映画をきめ、それをみんなが見たうえで合評会をする、というのが趣旨で、メンバーは、人文の各部を問わないばかりか、誰でも入ってよろしい、ということになっていた。(中略) なぜこんな会ができたか、といえば、だいたい、インテリというものは、大衆だの人民だのと、えらそうなことを口にしながらも、映画を見るということになると(当時、テレビはまだなかった‥原文のまま)、おおむね西洋の、それも芸術映画を見る傾向があり、ルネ・クレールがどうのとか、ハンフリー・ボガードがどうとか、 結局はカタカナばかりの人名で映画論議をすることが多かったからである。ほんとうに大衆をうんぬんするのなら、西洋映画などと関係のない大衆文化のなかに みずからをひたしてみることがまずだいじであろう。そこで、きわめて大衆性の高い人気映画、たとえば大川橋蔵中村錦之助美空ひばり、などの主演する チャンバラ映画やメロドラマを見ることがこの会の特色になったのである。
               【『わが師わが友 −ある同時代史』1982中央公論社

同じ頃、「日本小説をよむ会」というのも開かれていたそうだ。こちらはその記述。
白水社Webページ:読書会ノススメ「日本小説をよむ会」のことby國重裕さん】
読書会というと身構える人もいるかもしれないが、よむ会には日本文学の専門家はいなかった。よむ会はけっして研究会、勉強会ではなかったのである。文学史に寄りかかった「高尚な」発言は無視され、素人の感想、非常識な発言が歓迎された。よむ会が別名「笑う会」と呼ばれたゆえんである。(中略)よむ会では、「聴講」は許されず、積極的な発言が求められた。既成の評価にとらわれず、自分の感じたことを自由に 述べる精神が、よむ会を支えた。よむ会の「憲法」には「笑わせ、笑われることこそ美徳である(会のノンシャラン精神‥原文のまま)」とある。思ったことは忌憚なく、はっきり口に出して言う。ある作品(近年ベストセラーになり、吉永小百合主演で映画化された作品だ)については、「ななめ読みしても差し支えなかった」、「まとめて宅急便で作者に送り返そか」といった具合に手厳しい。もちろん無責任な放言が許されるわけでもない。「アンタ、なに言うてんの」、「ほんまにそれでエエんか?」とばっさり斬られることもある。大げさな作品論ではなく、「光る細部」にまなざしを注ぐ読み手が多かった。

恐らく「見る会」も「よむ会」同様、「高尚な」発言は無視され、素人の感想、非常識な発言が歓迎され、「光る細部」にまなざしが注がれていたのだろうと推察する。学者先生ばかりでなく、会社員や主婦も参加していた‥という記述もあった。
映画が必修科目だった時代の話だ。 覗いてみたかった。