2ペンスの希望

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刺激つづき

昨日の続き、若い衆に接して最近感じること。

考えてみれば、至極当たり前のことだった。
映画に魅せられ映画を志した若い頃、刺激を受けたり目標にするのは、手を伸ばせば届きそうな、ちょっと上の兄貴世代であって、親父や祖父・曽祖父世代ではない。
当然だろう。遠すぎる。時代も環境も違う。我と我が身にふり返ってもそうだった。歴史を知り、遙かな過去の厖大な蓄積におったまげるのは、それからのことだろう。
さすれば、今の若い衆は大変である。
先行する歴史と映画の試算目録は百年以上ある。拙管理人の時代に比べて二倍強の長さだ。しかも、その間、等比級数的に濃密な映画群が存在するからだ。
もうひとつ、
先を走る兄貴たちが活躍し修業する場は、大昔は撮影所だった。それが閉鎖され、テレビや広告宣伝業界、PR映画や短編文化映画に流れていく。どうしても劇にこだわりたいのは、ピンク映画やVシネで働く。その後はAVという場もあった。それも皆昔話・過去形になりつつある。 もちろん、それぞれそれなりにプロの仕事場だったが、いかんせん、職場は少しづつ窮屈で世知辛くなってきた。今20代30代の若手たちの一つ上の世代、40代50代には、仕事のはじめから撮影所で映画の現場を踏んできた先輩は、もはやほとんどいない。撮影所華やかなりし頃、撮影所内での仕事以外のことを「町場」の仕事と呼んでいた。そこには幾分蔑視のニュアンスも滲む。いまや町場の仕事も痩せた。フィルムの仕事も消えた。ビデオテープも最近は見かけない。チップやメモリーと呼ぶ記憶媒体へと様変わりした。CMやPV(プロモーションビデオ)の現場で場数を積み上げてきた人たちが、ガッコの先生となって生徒たちを指導する。もとより、短編以上の、長尺の映画経験は少ない。どれだけ腕を磨いてきたのかも定かではない。
一方で、映画を学びに海外に出る人が増えている。卒業後、海外で評価を受けて、国内での地歩を築く若手もいる。良い悪いではない。
そういう時代になって既に久しいということだ。
それでも考え違い・勘違い野郎はどの時代にも居る。昔は良かった、昔はすごかった、俺達の若い頃は‥‥と、鬱陶しい自慢話を止めない。神妙に聞いているフリの若者は、下を向いて舌を出している。「オッサン古すぎるぜ。賞味期限はとうに失せている。とっとと失せろ」という声も聞こえる。空耳か?いやいや。(この項、更に続く)