2ペンスの希望

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「おじさんの罪」

「おじさん」は無責任だ。
父親・お父さんは、逃げないし逃げられない。子供に対して何がしかの責任を負う。
おじさんは、気楽に好き勝手言いたい放題。言うだけ言って、都合が悪くなれば、いつでもいなくなる。すっと逃げられる。
ずっとそう思っている。
先日、新潮新書で『だから日本はズレている』という一冊を読んだ。【新潮新書566 2014年4月20日初版 2015年1月20日15刷】1985年生まれの若い社会学者・古市憲寿さんの本だ。おわりに に 「おじさんの罪」という稿があり、最終章あたりにこんな記述があった。
何か色々やばそうだけど、もう訳わかんない。別に明日文明が滅びるわけじゃないし、と、考えることを放棄、誰もが重大な問題だと気付きながら 「まあ何とかなるでしょ」と その解決を先延ばしにして、場当たり的な対応をしてきた。」(管理人の独断で一部要約しています)
文明⇒映画に置き換えて読んでみる。
と、何だか、昨今の映画のことを言われているようだ。 無責任な 「おじさん的態度」を指摘されているみたい。
別に明日映画が滅びるわけじゃないけれど、映画で飯を食わせてもらってきた身としては、おじさん的にではなく、どこまでもお父さん的であり続けたい。
ずっとそう思っている。