2ペンスの希望

映画言論活動中です

リセット

何もかもが変わらなければならない。映画の作り方も作られ方も、見方も見られ方も、評価も、評価のなされ方受け止め方も、全てが‥。何故なら、全てが変わってしまったからだ。映画が液状化していることはこれまで繰り返し書いてきた。旧態依然・死に体の映画業界とその周辺にしがみつき、昔を懐かしみながら今を呪ってたって何も始まらないからだ。これまでの慣習・習慣・ルール・作法・分別・大人の事情をすべからく全否定しよう。あらゆるものをご破算にしてリセットする。
業界常識にとらわれず、頭を切り替えてすべてを疑い、ぶち壊し、再構築する
越境 侵犯 乱暴 狼藉 何でもありだ。 縄張りなんてズタズタに切り刻め。
そうは言えども、
多分これまでの常識を後生大事に守護する旧人類には何処吹く風だろう。彼らは聴く耳持たず勝ち逃げを目論む筈だ。そんな輩に遠慮は無用『昭和残侠伝 死んで貰います』
規制・管理の映画
から
自由・解放の映画へ

新しい風を起こす!
アンシャンレジー
ルネサンス 

道なき道を切り開きながら匍匐前進するしかなかろう。間違いなく遠く険しい道になる。間違いや失敗も山ほど犯すに違いない。歴史社会学者の小熊英二さんは書いている。
成功する方法というものは理論的に予測できるものではない。それは状況と歴史的文脈に沿って、その場その場で最善を尽くす試行錯誤の末に、手探りで獲得された「盲点」だったのである。」【「原発を止める人々 3・11から官邸前まで」235頁 文藝春秋2013年9月25日 刊】
手をこまねき傍観しているだけでは何も始まらない。他人事意識は上滑りを呼ぶだけ。
来るべき映画のために旧業界を葬り、新しい地平を切り拓け。
心あるものが動き出し、志あるものが遠くまで行くのだ。見て見ぬふりはやめて、やれる人がやれるところからやれることをはじめれば良い。知恵と配慮を働かせ、算盤を手放さずに。ロートルは邪魔せずスイーパーに徹し、しんがりを務めるが良い。

次回以降その芽・蕾キイワードについて具体的に探っていく。
小熊さんの本の別の箇所にはこうもあった。「オルタナティブな未来像が見えないまま「懐メロを歌いながら」沈んでいるのが偽らざる現状であり、望ましいとはいえない。」【上述書 279・280頁】