2ペンスの希望

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アベレージヒッター消滅

日本の映画界からはアベレージヒッターが生まれなくなってしまったようだ。

アベレージヒッターの条件は幾つもあるが、日々打席に立たなければすべては始まらない。技術は磨かれないし、総合力も育たない。

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まずは常時試合に出ることが第一条件だ。コンスタントにバッターボックスに立つ・立てる選手(=映画監督)が今日本にどれだけいるだろう。数えてみればいい。毎年の如くコンスタントに撮り続けられる監督は恐らく一桁だろう。

忘れられた頃になってごくごくたまに打席に立っても、出来・不出来の差が激しい。ムラがある。基礎・下半身が出来ていないからだ。さらにはご当人の努力もさりながら、業界・社会に負う部分・責任も大きい。

撮影所時代は二十四時間四六時中春夏秋冬映画のことを考えてメシが食えた。それが消えた。TVCM、MTV、テレビドラマ、各種産業映画、‥‥映像の仕事は増えたが映画の仕事は減った。かつて広く高く設定されていたハードルは今格段に下がってしまった。ちょっとした努力でひょいと跨げる低さだ。たまたま振ったバットに球が当たり思わぬ飛距離になってヒットしたものが実績として持て囃さる。いわゆるまぐれ当たりというやつだ。映画にはこれがある。だから面白いし、だから怖い・オソロシイのだ。本当に難儀で厄介で高度な代物、それが映画だ。未熟な子供では覚束ない。手練手管を要する大人の仕事であることを忘れてはいけない。

生涯に 一本か二本の快作が関の山、あとは凡打の山を重ねても映画人として認定され、業界で通用する、そんな時代。プロが育ちにくい時代。幸せな時代だとはとてもとても言えない言えない。