2ペンスの希望

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『JuBAL』

管理人御贔屓の濱口竜介さんがこんな文章を書いている。
大学に入ってから、それまで見てきた映画のジャンルががらっと変わって、ハリウッド映画といった「面白い」映画だけでなく、ヌーベルヴァーグ、ニュージャーマンシネマ、アメリカン・インディペンデント映画といった「退屈な」映画も見るようになった、とした上で、
「面白い」ハリウッド映画は「情報」を因果関係の連鎖として提示します。その緊密な連鎖は本来なら時間に含まれているはずの「退屈」を排除してしまうほどのものです。‥この独自の洗練にハリウッド映画が至ったのは、ビックバジェットで映画を作り続けるサイクルを保つため、「生きもの」としての人間の生理に忠実であらざるを得なかった、その結果でしょう。我々はそうした部分を退化させているとは言え、基本的に生きものであり、動物ですから、眼前の世界から情報を読み取って、それを自らの生に役立てようとします。(かつては、目の前の動植物を「食料」と看做して狩猟・採集するところから始まっていたであろうその習慣は、今もスーパーやコンビニでの商品の取捨選択として残ってもいます)。そうした「面白い」映画がどれだけ私を楽しませてくれたか、‥‥」【2012年6月 「手紙についての手紙」〈otegami,orchidclub.net〉に寄稿】
ということで、
(何が、ということでなのかは、恐縮ながら説明抜き) 今日は、
1956年公開のハリウッド西部劇『JuBAL』。邦題は「去り行く男」
監督Delmer Daves 主演Glenn Ford  そうあの『13:10 to Yuma』のコンビ

予告編?‥‥映画のテイストとはチト違うが‥

こちらは、映画のワンシーン

少々強引 図式的「面白」ハリウッド映画 退屈排除。