2ペンスの希望

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映画のミライ

 

 映画も映画館も観客も、すべては変わる。そんなことは当たり前だ、分かってる。映画のミライは、いまここにあるミライから始まる。けど、そのことがどれだけ理解されているか、覚束ないのがツライ。映画のミライは、いつだって志を持った人と場所から生まれる。新しい映画世界を作るのは、どこかで何がしかの洗礼を受け、映画の毒がまわった人たちであり、彼らがつくる場所である。映画は文学や絵画のような単独行ではない。(かたくなにそう思ってる)死後の脚光・評価ではダメなのだ。製作も配給も興業もパッケージングも配信も、大小規模の差はあれ、ビジネスの産物、時代と社会の産出品(算出品)だ。不要不急の贅沢品。水物・ばくち。早すぎてもいけない。遅すぎてもいけない。三割バッターなら御の字。

競合・競争はますます激化する。24時間という可処分時間の奪い合いもある。もちろんその前に可処分所得も奪い合いもある。さあ、どうする、どうしよう。