下品ではしたないことだとは理解している。皆それぞれに一所懸命なことも承知している(つもりだ)。なのに、皮相なレッテル貼りが止まない。以下に挙げるのはここ暫らくメモってきた日本の映画監督さん( over50 限定)の見立て。決めつけの刃。
(見苦しく醜いものが苦手な方は、取り扱い注意。気分を害されぬようご注意願います)
「ひとり相撲の自爆テロリスト」
「砂場の一人遊び」
「育ちの良いお坊ちゃんの新しもの好き」
「破れかぶれの離れ業」
「誠実だがこじらせ映画人 呪詛怨念派」
「誠実だがこじらせ映画人 遠慮謙虚派」
「次なる一歩に立ち往生してる優等生」
「なけなしなのに往生際のわるい舌足らず」
「頭でっかち尻すぼみのエエカッコシイ」
「究極の蝙蝠男・風見鶏」
「永遠の腕なし番長」
「無責任な愉快犯」‥‥
‥‥いやはやなんとも どれもこれも申し訳ない。
皆さん だれ一人の例外もなく与えられた条件・制約の中で日々悪戦苦闘を重ねておられるに違いない。かつてのように牧歌的で大まか大らかだった暢気だった撮影後時代とは異なる窮屈の中で、持てる力をフルに使って長年 匍匐前進を続けておられることは確かだ。それでも不遜なレッテル貼りを止めないのは、この「作り易くなって、作り難くなった」時代と社会の中で、どこかでいつか新しい映画の地平を切り拓いてくれることを切望するからだ。新しい映画に出会いたいという思いゆえのこととご海容願うしかない。(厳しいハンディ戦を戦う今の人たちに厳しすぎるんじゃないか、そういうお考えもあろう。けど、ハンディはいつの時代にだってあった筈だ。プロアマ混戦も進んでいる。加えてさらに、グローバルな世界・国際社会へと視野・視界が拡がっている。こうしたことにもっと自覚的・意識的になってもいいと考えているからだ。言い訳無用。平場でフェアにフラットに戦うしかない。)