2ペンスの希望

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小川と一級河川

エジソンの発明やリュミエール兄弟から数えれば、映画の歴史も120年を超えた。
まだ120年とも、もう120年とも云えるが‥。
半世紀以上映画を楽しんできた身には、急激な成長進化、成熟期を経ていまや気息奄々、絶滅危惧と映らぬでもないのだが‥、「そんなのはロートルのたわごと、映画はそれなりに元気じゃない」と若い衆からは嗤われてしまうのは必定だろう。他に比べると映画は、時代社会と機械技術に左右される度合いの大きい表現物ゆえ、古典とか名作とかスタンダードナンバーとかが時代や世代によって異なるのは仕方ない。最近も友人から「教養の中身もOSも変わった。そろそろ時代遅れのポンコツを自覚したらいかが」と言われてしまった。管理人が若かった頃の歴史的名作映画ラインナップで今も変わらぬ評価を受け続けている映画がどれだけあるかを考えれば、確かにその通りだろう。
首肯せざるをえない。エイゼンシュテインブニュエルも遠くなりにけり、だ。
それでも120年‥短くない歳月をふまえて、これから新しく映画に出会うであろう未来の映画人に、これだけは!という映画の教科書・古典を伝えたい、というよこしまな欲望、余計なお世話が断ち切れないでいる。
ひとつは、何時の頃からかはびこり始めたB級礼賛、カルトムービー好みの風潮に水を差したい思いが強くあるからだ。味噌と糞は弁別した方が良い、そう思うからだ。
ただ、間違ってもらっては困る。味噌が高級で、糞は低級・駄目と言いたいんじゃない。どちらもそれぞれにかけがえのない位置と役割を持つ。当然だ。そう思ってきたら、映画のあるブログで秀逸な比喩表現に出会った。
(ネタ元は⇒http://mukasieiga.exblog.jp/24646204/「昔の映画を見ています」)
成程ね「小川映画」と「一級河川映画」。
堂々、滔々たる大河路線とちょろちょろさらさら流れる小川・名もなき二級河川映画。
もとより上下ではない。ボクシングの階級制をイメージして貰いたい。それぞれに戦略・戦術、妙技があり、テクニックがあり、醍醐味がある。鳴り物入りの大作映画が一級河川というわけではないし、添え物・B級・プログラムピクチャーが小川とは限らない。が、スタッフキャスト、作り手たちの心意気、意識の具合の違いとその達成・成果物を、後代の人々は見間違えないで、正確誠実に評価した方がよろしかろう、と思うのだ。その上で、時代を超えて賞玩賞味されるスタンダード・ナンバー、映画のクラシックを選ぶ作業を提示することが、先達の責務ではなかろうか。 【今日はここまで。生煮えゴメン。
この考 続く】