2ペンスの希望

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何でもない風景

映画には、何でもない風景なのに、やけに目に沁みて忘れられないシーンがある。そういえば、清岡卓行さんの詩にそんな一節があったよな、と ふと 思い出して、引っ張り出してみた。

現代日本詩集4. 『日常』【1962年 思潮社 刊】

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「風景」の第一連。

 あなたは生きている

と 単にそう言われただけで

あなたの自由はいらだつ。

ぼくは 風景などに

まるで興味はなかったのに

二人でプラットフォームから眺めた

あの ありきたりの

猫の子一匹いない 鉄材置場は

なぜぼくの眼に そんなにもしみたのか?

 

そうなのだ。何度も目にした筈の風景が、思いがけず、映画を見た時の空気や匂いまでもが生々しくよみがえってくることがある。水溜りに映ったネオンのにじみとか、後部座席からの移動撮影によって遠ざかる電信柱の連なりと奥に拡がる薄茜空とか、土砂降りの通りに差し出される鉢植えの花とかとか、最近見た映画に限っても幾つも浮かんでくる‥そんな断片がある映画にはハズレが少ない。ロートルの経験則だが、請け負ってもよい。