2ペンスの希望

映画言論活動中です

森達也『私的邦画論』から その1

森達也が雑誌「Newsweek 日本版」に連載しているコラム『私的邦画論』が面白い。お前さんの好みに合いそうだよ」と友人に薦められて、遅まきながらバックナンバーをパラパラ読んでいる。

若い頃から日本の自主製作映画とポスト撮影所時代の現場周辺と裏街道を歩いてきた(らしい)森達也さんが昔話を綴った私的映画論。映画との私的な出会いの軌跡をたどり、ときにウラミツラミや揚げ足取りも書くが、どうしてどうして、目はいいし読ませる。ご自身の作る映画より解りやすくてずっとグッド。(全部は見ていない不熱心な観客なのに、エラソーでゴメン。)

この《森達也自分史版  オススメ邦画 ランダム列記録》ほぼ同時代に同じような映画体験を重ねてきた管理人ゆえにか、そうだよな、そうだったよな、と共感を憶え懐かしく読んだ。腕はさておき眼は確かなようだ。気になった(≒気にいった)箇所を 幾つか つまみ喰い してペーストする。NATSUCO MOON 氏!のイラストとともにどうぞ。

f:id:kobe-yama:20211030054202j:plain

Newsweek 日本版 2021.06.04.号「映画館で見ること」

僕は学生時代に自主製作映画に夢中になり、卒業後はテレビ業界で仕事をして、そしてまたいま映画の仕事をしているだけに、テレビと映画の違いは何だろうと時おり考える。DVDが普及して配信で映画を観ることが当たり前になり、さらにコロナ禍で劇場やライブハウスやミニシアターの存在意義が問われている今だからこそ、映画と映画館の意味について考える。

まずは大きなスクリーン。そして暗闇。さらに(暗くてよく分からないけれど)周囲に座っている多くの(見知らぬ)人たちの気配

この3つが映画館のアイデンティティーだ。観る側が抱く映画へのアイデンティティーと言ってもいい。テレビや配信などと比べて明らかな相違は、観ることを途中で中断できない録画して確認することができない誰かとしゃべったり笑ったりしながら観ることができない、の3つだろう。いわば3つの禁則。あるいは制限。つまり映画は不自由なのだ。

だからこそ集中する。料金はもう払ってしまった。元は取りたい。今はまだつまらないけれど、これから面白くなるかもしれない。伏線を見逃しては訳が分からなくなる。

闇で僕たちは目を凝らす。必死にスクリーンを見つめる。時おり誰かの吐息や抑えた笑い声が聞こえる。こうして映画的空間が立ち上がる。(太字強調は引用者)

異議なし!!