2ペンスの希望

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物としての実在感 それを支える技術

本の世界に長谷川郁夫という人がいた。編集者というより出版人。1972年大学在学中の1972年に仲間五人と「小沢書店」を立ち上げ、終生本づくりに励み2020年5月亡くなるまでに六百数十点を出版した。

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「小沢書店をめぐって」というインタビューでこんなことを言っている。

電子書籍という言葉があるでしょう。もの凄く腹が立ちますよね、あれは書籍ではないんだから。書物でも書籍でもないのに、どうしてそういう言葉が使われるのか、非常に不愉快に思っています。百歩譲ってテキストとはいっていいかなくらいですよね。書籍というのは物ですからね。物だからこそ手で触れることができる。物だったら話しかけてくるかもしれない。読んでくれってね、本のほうから。本はこれからどうなっていくのだろう。私自身は楽天的に考えていない。もっとも絶望的な気持ちを持っている。書店に並んでいる本は立っているように見えているけれども、製本はぐちゃぐちゃで、寝そべりたがっているような時代です。どうしてかというと、製本技術者やそういうような方たちがどんどんいなくなっているし、製本所もどんどんなくなってくる。物としての本を支えている技術がここまで衰えてしまった以上、残るといっても、残る本というのは、私にとってはあまり意味がないなと思う。やはり古い本、それも昭和戦前くいらいまでの本しか、本というものの実在感というのは感じられません。

【2011.11.13. 西荻ブックマークにて Editorship6〈特別号〉追悼 長谷川郁夫 聞き手 秋葉直哉 】

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他所事じゃない。身につまされる話だ。映画の世界も1930年代が絶頂期で、それ以降は坂道を転げ落ちるような退潮・衰退期が90年ほど続いている、そう断言する映画人が何人も居る。あながち嘘でもないというのもおそろしい。