2ペンスの希望

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いまさらながら

いまさらながら岡崎京子の文章を再認識した。『オカザキ・ジャーナル』【2015.1.10.平凡社 刊】

漫画は昔からパラパラ読んできた。けど文章は初めて。今は無き「朝日ジャーナル」1991年1月4日11日合併号~1992年5月29日号に「週刊オカザキジャーナル」として連載されたものだ。

いやぁ、眼力といい聴力といい嗅覚まで申し分ない。文体も素敵。

ファンや目利き諸氏の間ではつとに有名だったようだが、寡聞にして存じ上げなかった。直接現物にあたっていただくのがベストだが、ほんのさわりをちょびっとだけ。

80年代バブルがはじけた「失われた30年」の入り口で、岡崎は「「平成」と「九〇年代」という解体と終焉にさえ見はなされた時代」(1991.1.4+11.[私は負けません])と書く。何度「解体」と「終焉」らしきものが訪れても、終わりなき日常に回収されてしまう時代の始まりを予見していたかのようだ。「一見リニューアルしてピカピカしてるけど実はもう中は腐っていて使いものにならないガラク。こわくないおバケ。でもおどろいたりして。」(1991.5.31.[泣けない時代])

これって、まんま90年代以降の日本の映画と映画界のありようそのものじゃ あ~りませんか(©チャーリー浜)