2ペンスの希望

映画言論活動中です

暴言です

今回は暴言。観もしない映画についての懸念を書く。ゴメンナサイ。

映画は、森達也監督の『福田村事件』杞憂は、二つ。
「いかにもの図式・構図・構造におもねてシナリオの彫琢が中途失速していないか」と「コチラ側の意識高い系の人たちに届けば御の字という市民運動市民良識派選良善良諸君向けのマスターベイションに陥っていないか」
つまりは
「映画としての品と質をどこまで備えているのか(出来不出来達成度は別にして)」「ムコウ側の映画人=娯楽派(エンタメ消費者層)にも届けて巻き込もうとしているのか=意識の幅と度量・器量」
映画は物語ストーリーやドラマじゃない! 画面から性格や空気が伝わってくるかどうかが分かれ目。人物造形の「厚み・奥行き」と「血流の具合」が勝負所。そこを見極めたい。

グダグダ言うヒマがあるなら 観てから言え!!

そんなお叱りが飛んでくることは百も承知。

よんどころない事情で映画館に行けない身が続くが、出来るだけ早く駆け込んで観るつもり。チラシもポスターも好み、そそられている。観たらまた書く。だから今日のところはゴメン。