2ペンスの希望

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小津ごのみ:「おじさまごっこ」

女の人で小津映画がしんそこ好きという人は少ない。そもそも見ている人自体少ない。

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「小津調映画」には、「結婚」「家庭」はあっても「恋愛」はない。つまりはメロ度の乏しい映画である。女の人たちに人気がない理由の第一はそこにあるんじゃないか。

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いわゆる「小津調」映画の女たちは揃いも揃って、踏みはずさない女たちなのだ。社会的秩序を踏みはずさない女は賢いのかもしれないが、見ていて面白くはないものだ。男の人から見たらああ見えるかもしれないけれど、実はもっといろいろな気持ちを持っているし、とんでもないことを考えていたりもするのよねー、男の人はそういうところが見えないし、見たくもないのよねー。女は踏みはずす女のほうが好きなのだ。理由は簡単。その方がドラマチックだから―。(太字強調はすべて引用者)

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かくして‥中野さんが指摘するのは、小津映画の「おじさまごっこ」要素。

「小津調」映画には、「おじさま」と呼ばれる中年(初老?)の男と二十代の娘とのいささか遊戯的な会話場面が、必ずと言っていいくらい挿しはさまれている。

1960『秋日和』:世界的に見てもあんまり例のない「おじさまごっこ」映画 by 中野翠

父と娘という関係ではなく、恋人同士というのでもない。タテでもヨコでもない、ナナメの関係だ。男は娘の父親と同世代(たいてい学生時代からの友人)だから、娘に対する関心はおのずからウッスラと父性を帯びる。エロティックな関心は抑えらえれる。それでも実の父親ではないから、接し方は自由で娯楽的なものになる。

「おじさま」と自分を慕う若い娘がいるということ。それは、妻や娘を相手にするのとも、飲食店のおかみやマダムを相手にするのともちょっと違う、贅沢感のある愉しみだろう。年輩の男(ただし品のいい部類の)の夢かも知れない。黒澤映画とはまた違った意味で、やっぱり小津映画は「男の映画」なのだろう

なるほど、中野さん 目の附け所がちがう。女子力あり。