言うまでもない、1953年『東京物語』の極めつけ台詞。小津ファンにはつとに有名。
ネットには、深読みの考察が幾つも並ぶ。
あまた出版されてきた小津本にも様々な解釈が‥ぞろぞろ。
なかで高橋治『絢爛たる影絵』をはじめとする「性的深読み」について、中野さんはバッサリ。
あの場面を性的な深層心理から探るパターンの解釈はハッキリ言って閉口。話をせせこましく小さくするものではないか? 紀子は「今」とうまく向き合えない。宙ぶらりんの孤独。心の置き場所に迷っている人間。
一瞬烈しくまっすぐに胸中を見せる紀子。わずかな言葉ですべてを察したかのごとく、ふんわりと受けとめる周吉。あの場面の与える感動は、むきだしの孤独と孤独が一瞬すり合うところにあったのではないか?(例によって太字強調は引用者)
それにしても小津の怖ろしいまでの趣味性。さりげなく吊り下げられているのは「ひょうたん」(そういえば、1962『秋刀魚の味』の落ちぶれた元教師(東野英次郎)の仇名も「ひょうたん」だったよな。)
ということで‥中野翠著『小津ごのみ』の引用シリーズはここまででお披楽喜。
とにかくこの本、映画はこんなふうに愉しもうというお手本のような本だった。御馳走様!