2ペンスの希望

映画言論活動中です

一ウデ二タマ三トトウ

今日は(今日も?)まったくの妄想・暴走をひとつ。

一ウデ二タマ三トトウ‥‥という言葉が突然湧いてきた。
牧野省三の「一スジ二ヌケ三ドウサ」は人口に膾炙した映画界の名言だが、こちらは、ただいま現在日本の映画に求められる(べきだと勝手に考えている)ローカルルールの試案に過ぎない。そのつもりでお付き合い願います。読んだらさっさと忘れて下さい、(‥と書いても、どこかに自慢がにじむ。人間ってホント厄介だ。)
映画監督の超インフレが続いている。誰とは云わないが、頭でっかちで口は達者な監督さん達に送りたい。
一ウデ。文字通り技量(技倆)のことである。いやお金が‥とか、時間が‥とか、実はプロデューサーが‥というヒマがあるのなら、ひたすら精進してほしい。ウデが未熟な分は意欲でカバーして‥なんて虫のいい話しは、どこにも通用しない。
二タマ。役者のことだ。ただし、記号的ワンパターン芝居は御免蒙りたい。意欲満々のやる気ボーイ&ガールも不要。居るだけでいとおしくなる様な才能に出会いたい。発見それももまた監督の大事な仕事だ。近くの有り合わせで間に合わせて欲しくないものだ。ドキュメンタリー映画の場合、一ウデと二タマの比重が逆転することも良く起こる。タマの強さ次第、誰が作ってもそこそこは仕上がるという例には事欠かない。もっともタマの強さに負けない腕前を発揮する映画もたまにはある。
三トトウ。漢字にすれば徒党。つまりスタッフワーク。徒党を組むことは仲良し小好しとは違う。猫の手ではもちろんない。仲間うちの映画ゴッコではなく、プロがプロとして言訳無しにその職分を発揮してタッグを組むことで掛け算的な達成が可能になることは請合っても良い。押井守風に云うなら、「お互いの引力圏の中にあって、お互いの重力を自分の運動エネルギーに変えていく」人たちを組織することだ。(参考:押井守『勝つために戦え 監督ゼッキョー篇』徳間書店2010年8月刊)
んなことはハナからわかってる、けど‥というのは、やはり泣き言だと思う。言ってはいけない、とは云わないけれど、
他にすることがあるんじゃない、と言葉を返したい。
オマケは1972年の日本映画 シリーズ第一作。