2ペンスの希望

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映画=映画館

スクリーン至上主義でもシネフィルでもない。映画は何が何でも映画館で、とは思っていない。さすがに、携帯ワンセグは御免こうむりたいが、ディスプレーでの鑑賞でも全然OK、モニター画面でもスクリーンでも、一本でも多く色んな映画を観たい、と思っているだけだ。とはいえ、まったき暗闇に身を沈めて、大きなスクリーン、気がねなき大音響、見知らぬ(見知った)誰かと一緒に映画を観る愉しみは映画館ならのものであり、映画館で観るのが最上最良であることは間違いない。そんな世代の一員だ。高名な評論家諸氏でなくとも「映画館が学校だった」という人は沢山いる。(昔々唐十郎は「映画は時代の迷子の溜まり場だ」と言っていたが‥)

二本立三本立 中には四本立も珍しくなかった。当たり外れもあった。駄作に付き合って我慢して見続けていると、たまにアッというような拾い物・私だけの傑作に出会う。もっとも、熱心な客ばかりではない。時間潰し暇つぶし、果ては昼寝の場所でもあった。学校であるからには 優等生もいれば不良もいるのが当たり前だった。すね者もいればドンくさいのもいる。何を考えてるのかようわからんのもいた。
シネコンを中心に定員入替制が定着した今、映画は決め打ちが当たり前になった。レンタルショップでは、当然コレは!というものしか 選ばない。
映画館には、姿勢の良い優等生ばっかりが目立つ。同質性が高い空間。お気に入りのバンドのライブ会場か、市民集会みたい。軟弱な怠け者には、少々息苦しく居心地が悪くなった(ような気がする)。

が、間違ってもらっては困る。
昔は良かったといいたいのではない。温故知新。昔のあり方がどんな意味を持っていたのか、何が削がれ、何が残されるのが好ましいのか、どう受け継がれるのが良いのかを素直に検証してみたい、ただそれだけのことだ。何故か。それが映画の未来を豊かにすることに繋がると信じるからである。

少し前だが、映画界のある先輩からのメールにこうあった。
見知らぬ人と同じ時、同じ場所で、同じ映画を見終わり、明るくなった時の不思議な一体感にはゾクッとしたものを感じます。あれは何なのでしょう?」と‥。
ズット考え続けている。今も‥