2ペンスの希望

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緩くなって‥

フィルムは高かった。仕事を始めてから十五年はフィルムだった。35mm、16mm。生フィルム、現像代、ラッシュ・フィルム(編集用に焼く補正なしの棒焼きポジ)まで含めると、100ft(35mmなら1分強 16mmなら3分余り)で数万円もした。
だから大事に使った。ここぞというタイミングを計って、息を呑んでシュートの瞬間を見極めた。スイッチを押すのはキャメラマン(或いは第一助手)の仕事だが、監督はじめすべてのスタッフが、その一点に向かって集中した。
それに比べると、ビデオテープは格段に安かった。フィルムと違って、消して何度でも使える。長さも、20分から180分まであった。フィルムでは考えられない長さだ。すぐにインタビューと空撮が劇的に変わった。時間を気にしない長廻しが可能になった。ヘリコプターのフライトでは離陸から着陸までずっと廻しっぱなしにしたというズボラなキャメラマンの話も聞いた。(この話は複数の人から聞いたが、真偽については責任は負えない)
じゃあ、それで、いい画が撮れるようになったのか、質が向上したのか、腕が上がったのか、といえばそうでもないのが悲しい。
技術の進歩が、豊かさにつながるとは限らない(そんな例のひとつかもしれない)。
現場の集中が減った。リズムも平板になった。(銀塩と磁気の質感の違いももちろんあるがここでは触れないでおく)総体でいえば、緩くなった
スチール写真の世界が、フィルムからデジカメに変わって、何でもかんでもシャッターを押すようになった。不要なら消して取り直せばいい。お金は掛からない。「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」というわけだろうが、要するに、下手なのだ