2ペンスの希望

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論争

「カメラマンはルーペ(ファインダー)からしか物を見ない。それでは目隠しされた馬だ」と監督・亀井文夫が言い、「映画はルーペをのぞくことによってしかつくれない。しかもそれは熟練を要するプロの仕事である」とカメラマン・三木茂が応える。1940年の頃の応酬である。【発端は、雑誌「文化映画研究」1040年2月号『日本文化映画の初期から今日を語る座談会』での亀井の発言。その後数号にわたって論戦は続いた】
本気の論争・喧嘩だった。
それから70余年・今は仲間内の褒めあい、エールの送りあいはあっても、喧嘩・論争・批判はめっきり少なくなったように思う。あっても同じ土俵に立つのではなく、陰でこそこそ振舞うか、外野から野次を飛ばして人ごみに紛れて姿を隠すようなのが多い。それぞれがそれぞれの陣営(仲間うち)に立て籠もって、ののしり合うだけで、一向に噛み合わない。一見、平和共存的だが、その実、打たれ弱く傷つきたくないだけなのではないか。評論家や批評家といわれる人々も、評論や批評はしない。あるのは、紹介や感想だけだ。批判の欠如、批評の衰弱が、映画を硬直化し、痩せさせていく。作る人、見る人、に加えて、批評する人(意味づけ、価値づける人)の三位一体、その豊饒、復権を期待したい。