2ペンスの希望

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「関係の絶対性」

数日前から宇野邦一の『吉本隆明 煉獄の作法』【2013年8月19日みすず書房刊】を読んでいる。前提抜きで昨日読んだ箇所を引いてみる。
日本の現代詩が、衣装やイデオロギーの転写ではない、真の意味の思想性を獲得するためには、内部世界と、外部現実と、表現との関係についての明晰な自覚が必要であった」と書いた吉本は、戦後文学について批評し論争しながら、とりわけ「内部世界」と「外部現実」、「(前衛的)政治意識」と「(庶民的)生活意識」、「現実社会の秩序」と「感性的秩序」のあいだの乖離や葛藤を問題にしている。
【ややこしくて恐縮だが、紫字は吉本の言葉 青字が宇野の言葉】
「関係の絶対性」をキイワードに吉本の軌跡を読み解き直す宇野の文章は、分かりにくいかもしれないが、「日本の現代詩」「戦後文学」の部分を「日本の現代映画」と置き換えて読んでみたい誘惑に駆られる。 それにしても半世紀も前の文章がいまも刺激的なのは喜ぶべきことなのだろうか、嘆かわしいことなのだろうか。