2ペンスの希望

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庭は便所の窓から

若い頃から「現代詩」はチョコチョコ読んできた。

さすがに付き合いきれなくなって、21世紀に入った頃から「現代詩年鑑」は買わなくなってしまったけれど。

ということで、正津勉の『京都詩人傳 一九六〇年代詩漂流記』【2019年8月 アーツアンドクラフツ 刊】を読んだ。

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天野忠、大野新、清水哲男清水昶、米村敏人、宍戸恭一、‥‥懐かしい名前が並ぶ。書中 正津の言葉をそのまま使えば「閉鎖京都系詩的交友圏」。「凹んだ感じ」。

或る時、南禅寺の庭を前に、「江戸っ子気質」の学匠詩人西脇順三郎に向かって、京都の地方詩人(ローカルポエット)天野忠が言った言葉が振るっている。

庭は便所の窓からみるのがよろしいな。庭がゆだんしてますさかいに【出典は:大野新『砂漠の椅子』1977編集工房ノア 刊】

現代詩界隈では知られたエピソードだが、すっかり忘れていた。そこで忘備録的に残しておく。「天を駆け謳う」首都詩人と、「地を這い嗤う」地方詩人。日向と日陰。その「距離の取り方・目線の定め方」。「凹んだ感じ」のイケズ具合、「ひねてややこしいハイカラ」。喰えない屈折。京都やなぁ。

 

書中にひとり、初めて聴く名前があった。角田清文。1930年生まれ2003年没。1984年にはH氏賞の選考委員を務めていた、とあるので、全く無名の詩人というわけではない。生前 詩集も数冊、散文集『相対死の詩法』出している。ためしに検索してみたが、芳しくはなかった。簡単には読めそうにない。どなたか心当たりあればお教え戴けると有り難い。(先の散文集『相対死の詩法』(あいたいじに=心中)、詩集『日本語助詞論』『桂川情死』所望)