2ペンスの希望

映画言論活動中です

菊地さん

JAZZ関係者あたりから、ときにとてつもなく刺激的な映画批評の矢が飛んでくることがある。全盛期の山下洋輔さんしかり、ゼロ年代菊地成孔さんしかり。
そんな予感とともに『ユングサウンドトラック』(副題:菊地成孔の映画と映画音楽の本)【2010年1月20日イースト・プレス刊】を読み始めた。 のっけからこうあった。
21世紀の映画論は、観たか観てないか、というよりも(ちょっと精神分析学めきますが)観たけれども憶えてない、とか、観ていないのに観たような気になっているほどだ、といった領域、つまり、もし憶えてないなら、なぜ、どこを憶えてないとか、観てないのに、観た気になっているとするならば、じゃあその映画は、頭の中でどう映っているとか、そういった話が面白くなってくるんじゃないかと思いますし、あと評論家やマニアは、「何を観ているか」と同等に「何を観ていないか」を表明する時代じゃないかと思うんですよね。文学だって音楽だって、何だって同じことが言えますけど、これだけ歴史が長くなってくると、前提として観ていることにされてしまっている、古典的な名作アーカイヴ。みたいなものの中から、自分に何が欠損しているか、その言わばをマイナスの名作アーカイヴ(太字は引用者)緻密に作成して公開するのは、単純にとても面白いし、様々な可能性を感じるんですが(例えばワタシ(菊地←引用者註)の膨大なマイナス・アーカイヴには『天井桟敷の人々』『大いなる幻影』『自転車泥棒』『無防備都市』等々が含まれます)、‥‥
斬れ味鋭く快刀乱麻、言いたい放題・落花狼藉、面白半分、上等である。
プロの映画評論家の皆さんもこれぐらい面白い「芸と技」を見せて欲しい。
映画業界人は内向的でお行儀が良すぎる。