2ペンスの希望

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こだわる

「こだわる」という言葉がある。最近ではおおむね好意的な意味で使われている。素材と出汁にこだわる、とか、こだわりの職人技、とかとか。「手抜きせずとことん追求する」といった良質、良心的なイメージだ。しかし、原義は違う。どうでもいいこと、取るにたらない些細なことにとらわれる、重箱の隅をつつく、という否定的なニュアンスの意味だ。
少なくとも、拙管理人が若かった頃はそうだった。それでも、今頃そんなことをいっても時代遅れか、知ったかぶりのやっかいなオッサンと煙たがられるだけだろう。
言葉の世界では、「悪貨が良貨を駆逐する」ことが常態だ。それでも、良貨を見極めて溜め込む見巧者が居る間は良い。見巧者が絶滅危惧種に成り果て、味噌もクソも一緒に流されてしまわないうちに、鬱陶しがられても、こだわりの原義にこだわり続ける。何故かって?物言わぬ観客=見巧者こそが、芸人を育てるからだ。見巧者が居なくなったら、芸人・芸能は痩せて立ち枯れる。映画もまた‥。
と、ここまで書いてきて昨夜お会いした或る映画監督の言葉を思い出した。70歳になられるという監督はこう言っておられた。
映画は監督のものだというのは大間違い。映画は観客が発見してくれるもの。」全く同感だ。