2ペンスの希望

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のっぴきならない

女性なら断然 高野文子だ。寡作だがどれも全力投球・剛速球。詩誌(の筈だった)ユリイカ2002年7月号『特集高野文子』はオススメだ。
評論には相変わらずのカッコづけの大馬鹿者や懲りない大家、青二才が並ぶが、
高野さん自身が同業者大友克洋と語り合う対談記事
「〈描くこと〉と〈描き続けること〉の不安と恍惚」は圧巻。モノを作る人の「没入」・「サービス精神」がどんなものなのかが良く分かる。


ところで、
数日前に、「すべての表現は、そのメディア(表現媒体・表現手法)でしか表現できないものの、のっぴきならない(代替不能の)表現なのだと思う。」と書いたところ、或る人から、も少し詳しく説明して欲しいという注文を受けた。
う〜ん「そのメディアでしか表現できないもの」「のっぴきならない」切実さというしかないのでそう書いたのだが‥。それこそ上述のユリイカ対談を読んでもらえば、拙の言いたいことはつぶさに分かると思うのだが、う〜ん、例えば、石田徹也の画なんかはどうだろう。【著作権保護の関係がやっかいそうなのでここには画像はあげない】
http://matome.naver.jp/odai/2130423084790690301
といったページにアクセスしてみて欲しい。或いは、検索エンジンで、「公式ホームページ」に辿り着いて貰いたい。好き嫌いは別にして、石田の絵が絵画でしか描けないものを描いたことだけは確かだ。「のっぴきならない」とは、そういうことだ。高野漫画や石田絵画がそうであるように、セザンヌだって、ピカソだってそうだ。
映画もまた同じことだ。映画でしか描けないものを描いてこそ映画だ。最近、マガイモノ、もどきが多すぎる。ふーっ、やっと映画に繋がった。