2ペンスの希望

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観客とは誰か

ジャン・ルイシェフェールの『映画を見に行く普通の男』の原著裏表紙にシェフェール自身による「自書解説」にこんな一節がある、と訳者の丹生谷貴志さんが紹介している。
Jean Luis Schefer L’homme ordinaire du cinema Chaiers du Cinema/Gallimard 1980  邦訳 現代思潮新社 2012年6月刊】
映画を見る者、映画の観客というのは、快楽のために見る対象を選ぶ者ではなくて、見る対象すべてが快楽の対象であるような者のこと‥‥
言わんとするところは分かる(ような気がする)。
さてどんな映画を見ようかなと選ぶ人士ではなく、映画を見ないと気がすまない、お風呂に入るように「映画を見る」(シェフェール氏の頃なら「映画館に行く」)人のことを「映画の観客」と呼ぶんだよ、と言いたいのだろう。
日本の映画の「玉石混交を通り越した液状化」の中で、盲亀の浮木 優曇華の花、めったなことではこれはというものに出会わないことは百も承知ながら、それでもいそいそと映画館に出かける人士が、映画を支える最終最強の力(土嚢?)だと確信する。
彼らは、大概が寡黙だ。静かにスクリーンと向き合い、静かに席を立つ。彼らの語らない声に耳を傾け、眼差しの深さを繰り込めない映画関係者は信用できない。そんな輩は、単なるおしゃべり好きか、自分好きに過ぎない。少なくとも映画好きではない。