2ペンスの希望

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Plan 1 レア&ハイ

来るべき映画は劇映画よりドキュメンタリーが一歩先んじて進むのではないか――
そんな仮説を立ててみた。さしたる根拠があるわけではない。が、キイワードは、はっきりしている。“よりレアに よりハイに”これである。リアルではない。従来型のリアリズムではなく、生肉に近い“レア”での提供。或いは、“ライブ”コンサート。或いは“一回性・現場性・臨場性”
素材(撮影対象≒役者≒被写体)は、出来るだけそのまま“レア”、非加工、生っぽさを身上とする。素顔、スッピン。(或いは、対極に立つ仮面。表情を消した無名性・匿名性という手も考えられそうだが、これはまた別の論議。稿を改めたい。)
つくり・演出法は、“ハイ”を目指す。これまで積み重ねられてきた手法、作りこんだ演出、分かりやすい(通じやすい)主義主張、主観、感情的な巻き込みスタイルではなく、より高度により巧妙に、一見したところ事実そのまま、加工していない素材をゴロンと投げ出しただけかのような装い、そんな演出の高度化=高次化が試みられる。
りくつ優先・説明可能な「画像とつなぎ・展開」ではなく、意識と無意識のあわいに漂うハイパーリアリズムを点綴しながらゆくりなくも映画《=映画的情動》が浮上する。
う〜ん、うまく言えていない、う〜ん。
頭の理解より、何やらの胸騒ぎ。理性より感情。上半身より下半身。胸に響く、腹にこたえる映画の出現、といえば多少はニュアンスが伝わるだろうか。
喩(たと)えを変えてみる。
調理済みの手の込んだ料理ではなく、素材の栄養・風味を生かした刺身のような料理、といえばどうだ。
もちろん、「料理」であることに変わりはない。
美味いか不味いか、値打ちはそこで決まる。

ゆめゆめ看板や値段に惑わされてはいけない。