2ペンスの希望

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上方落語と江戸落語

ラジオでこんな話を聞いた。
上方落語は、境内や道端に舞台を作って道行く人の足を止め「辻咄」(つじばなし)や「軽口」(かるくち)という自作自演話を聞かせて銭を稼いだのが始まり。だから初めから仕舞いまで笑いが必要。何十秒に一回か笑わせないと客は逃げてしまう。一方、江戸落語は「お座敷芸」。初めは芝居小屋や風呂屋で、そのうちお金持ちの座敷に呼ばれて話を聞かせるようになった。そこでは短い笑い・くすぐりよりも、人情話をたっぷり聞かせて、ホロリ、しんみりさせることが求められた。
上方落語=笑わせる芸、江戸落語=泣かせる芸というわけだ。
本当かどうかは知らない。ただ、同じ落語でありながら、成り立ちも中身も評価も違うことを面白いと思った。上方は笑わせてナンボ。東京では泣かせるのが名人、ただの爆笑王は低俗と貶められる。どちらも落語なのにネ。
場のありようによって育つ芸は変わる。
それでも人は慣れ親しんだものを認め、そうではないものについては排除する傾向にある。どちらが上でどちらが下という代物ではないのにネ。名人・上手は一杯いるほうが愉しいのにネ。
視角は広く、胃袋は強くありたい、そう思った。