2ペンスの希望

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記憶のコントロール

数年前、知人がリタイヤ後大学院に進学した。この春めでたく修士号を取得した。その修士論文を冊子に纏めたものを頂戴した。
『CC(コーポレート・コミュニケーション)の視点から考察する「企業博物難」の価値』【2013年4月京都産業大学大学院マネジメント研究科A氏修士論文
商売柄、企業博物館の展示映像などもたくさん手掛けてきた身としては興味深く、面白く読んだ。中で興味を持った論考の一部を勝手に要約引用する。 (Aさん御海容!)
Nissley,K. and A.Casey(2002 British Journal of Management)の研究。
従来の企業博物館は、歴史的な遺物や情報を保存・蓄積する場所という見方が多かったが、この「宝物庫的な解釈」から脱して、彼らは「記憶のコントロール」装置としての役割を指摘・主張する。公開を通じて「思い出すこと」をコントロールし、同時に非公開によって「忘れること」をもコントロールする。企業が意図的に博物館での展示方法を選択することによって、「組織の記憶を操作する」点に注目する。企業についての想起(remembering)、忘却(forgetting)、想像(imagining)は、自在に編集可能ということだ。

なるほど、なるほどと読みながら、いつの間にか逸脱・脱線。
以下は、拙の勝手な脳内妄想・暴走。
記憶のコントロール。恣意的な構築と消去。これは曲者だ。例えば、映画史。残されたもの・語られるものだけが評価され、残されないもの・語られないものは、忘れ去られ、なかったもの・なかったことにされてしまう。歴史の残酷アーカイブの罪と罠。
後からきた若い世代は、“正史なんて嘘八百だ”と眉に唾して何度でもほっぺたをつねり直したほうが賢明だ。
‥‥例によって今日も竜頭蛇尾 入り口とは程遠い出口になってしまった。