2ペンスの希望

映画言論活動中です

深い問いさえあれば

時代とともに、映画も変わる。
今の時代、かつてのように、分かりやすい起承転結、誰でも得心が行くストーリーがそうホイホイと成立するわけではない。むしろ、そんな絵に描いたような都合の良い「物語」は、出来すぎだと敬遠される。本当のことというのは、得てして、美しくも強くもないものだ。身も蓋もなく、目をそむけたくなるほどえげつないこともあろう。さすれば、(最近つらつら思うのだが、)新しい映画は、「最も深い問いを発する」ものであれば、それでよいのではないか。結末で決着がつかなくとも、明快な結論が出せなくても、何がしかの着地・落着が導かれ、それが、説得力を持ち、共感を得られるものであれば、一応の合格点、ひとまずはお役御免だろう。心の奥深くにまで届く「問いかけ」が込められているかどうか、それがひとつの判断材料になる。
ワンシーンでも、ワンカットでも、これまで見たことのない映像が盛り込まれていれば、作り手たちはコレが撮りたかったんだろうな、コレが見せたかったんだろうな、と思わせられたなら、御の字だ。
言葉に出来ない思い、いまだ言葉に至らない思い、逆に、言葉を超えた思い、言葉では足らない思い、更に言うなら、言葉にしてしまっては嘘になる思い、意識、関係、環境、そんな空間と時間の流れを、丸ごとポンと提示し映し出せれば(写し取れれば)上等の部類。それが、見る人の思考と感受性を刺激できれば、大成功だろう。
と云ってはみたものの、それでも、国民的大ヒット映画にして不朽の名作と言われる映画への、断ち難い思い、見果てぬ夢は、ロートルの胸からは消え去らないのだが‥。