2ペンスの希望

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本『映画はどこにある』その2

昨日採り上げた本『映画はどこにある』その2。
若い世代の生活と意見は、総じて冷静だった。
日本の映画は、玉石混交を通り越し液状化」している。
作り易くなったその分だけ、作り難くなった。拙管理人はそう思っている。
「作り易くなった」のは、技術革新によって機材が安価で扱いやすくなったが故であり、
「作り難くなった」のは、産業としての衰退で、専業では食えなくなったことが大きい。
いまや、映画監督には猿でもなれるが(猿さん 失礼!)、それで飯を食っていく道のりは容易ではない。容易でないどころではない。もはや不可能・絶望的という声もある。
確かに。映画で食えなくって、ガッコのセンセをやっている先輩「映画監督」は、掃いて捨てたいほどいる。
そんなセンセを見て育った若い衆は、ガードマンやビル・メン、介護職など「映画以外の労働をウイークディにしながら週末に作品を作っている」(富田克也)。それが現実・現状だ。「基本ニート、実家住まい。‥音楽とか演劇とか映画やってるやつは大体、恋人に住まわせてもらってるとかそんなかんじ‥‥」富田と同じく「空族」所属の相澤虎之助はそう発言している。週末プロダクション・日曜監督・ひも・パトロンだのみ。
映画の世界で稼ぎ、結婚し、家族を養い、子供を育てるという設計図が描けないのだ。しかし、
彼らは嘆きもしなければ憤りもしない。愚痴や泣き言も言わない。もっと醒めている
そんなことをしても何の解決にも現状打破にもならないことは、彼ら自身が一番良く知っているからだ。それほどに切実であり、ある意味、誠実だともいえる。
「自主映画だから、こんなもんでゴメンな、お金も時間も無いから許してネ」という甘えやおもねりもない。(昔はあったのかもしれないが、どこかできっぱり卒業したのだろう。) 潔い
本を読むうち、幾つかキイワードが浮かんできた。思いつくまま三つ挙げる。
事業設計」 「マルチタスク」 「すべて自前で」。
とりあえず明日から順番に書いていく。
「乞う!ご期待」とも「刮目して待て」とも言わない。