2ペンスの希望

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跛行的

封切を含め比較的新しい映画を立て続けに見た。ハリウッド映画が1本、欧州映画1、中国第六世代映画1、そして日本の若手の映画3本。後味良く見られたのは御歳85歳のハリウッド監督の1本だけだった。あとは、どこかしら不満が残った。観なけりゃよかった非道いのも複数本あった。
映画は幾つもの要素から出来あがる複合産物だ。プロデュース、シナリオ、ディレクション、スタッフ、キャスト、音楽、美術、‥‥。数年前から感じていることだが、跛行的・バランスの悪さが年々酷くなっている。特にシナリオ、演出パートの劣化・衰弱が激しい。
役者・キャストと技術スタッフについてはさほど目立たない。(目立たないだけで、劣化がないわけではない。記号的・図式的なワンパターン芝居、過剰な熱演だけが浮き上がって痛々しいケースもよくある。それでも、若い役者の台頭・健闘は認めてよい。)
とどのつまりは、需要の差・マーケットの有無の差なのだろうか。
役者は、舞台や音楽、CMなど仕事の場は数多く広がっている。その中で競争、優勝劣敗、淘汰と選別に晒されて育っていく。
技術職も、映像産業の拡大に乗って、それなりの需要・マーケットが広がっている。
ひきかえシナリオ作家と映画監督の需要は少ない。登板回数は減少し、場数も経験もめっきり少ない。一部の小器用な監督さんは、CM制作やMTVなどにお呼ばれするが、15秒や30秒、長くても数分という世界と、90分という“本編”では、使うアタマも筋肉も違う。勝手が違う。90分を見せ切る力量は、残念ながらCMやテレビでは育たない。