2ペンスの希望

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「残念」

昨日のブログを書いて、少し前に読んだ「さやわか」(というペンネームのライター)さんの本『10年代文化論』 【星海社新書 2014.4.24 刊】のことを思い出した。
残念」というキーワードから2010年代の文化潮流を読み解こうと試みた本だった。
2008年頃から「残念な美人(イケメン)」とか「残念な兄貴」という言葉が使われだして流行ってきたそうだ。(流行に疎いオジサンは知らなかった。 最近終わったらしいが
「残念な夫」というタイトルの連続テレビドラマもあったみたい。)
本来は、否定的な言葉だった「残念」にポジティブな意味が加わったと、さやわかさんは指摘する。「せっかく美人なのにどこか残念なキャラクターを持っている女性」を肯定的に受け止める言い回し。「残念」の意味が拡張し変質した、と。
本では、女性三人組の音楽ユニット「Perfume:パフューム」を採り上げこう語る。
(もはや)彼女たちのライブを、〈口ぱく〉だと批判するのは当たっていない。彼女たちは歌手ではない。「歌っている」演技をするパフォーマーなのだ。単純に歌唱力云々ではなく、音楽を再解釈して発展させ、完璧に演じきるセンスと技能に注目すべし
さらには「固有の自分(アイデンティティ)より、別の人柄(キャラ:役柄)を演じることの重視」「外見と内面のギャップを楽しむキャパシティ」といった表現も並ぶ。(別のところでは、これまでの“アーティストの時代”から“パフォーマンスの時代”へ 潮流が変わったと発言している)
ダメなことを、「だから」ダメだと否定するのでなく、ダメなことも、ダメのまま受け入れる時代? ダメ「だけど」クズじゃない、ダメ「なのに」面白い、‥‥台無しも包摂。
ミスマッチを受け入れ楽しむ風潮、懐の深さ?度量の広さ?  「なのに」の美学
さやわかさんのおっしゃること判らぬでもない。
思い当たる節無きにしも非ず。
けど昭和のオジサンには、どこかビミョー、なんか厄介。